富野の歴史


・縄文時代

今から3から4千年前から人が住んでいたようで、富野小学校付近から縄文時代の土器、石おの、石の矢じり又、弥生時代の土器、石器等が発見されています。

 

・奈良時代

富野に神社や寺院があったらしく、名僧行基がやってきたという言い伝えもあります。

 

・平安時代 初期

坊地に大きな寺が建てられたと言われ、坊地という地名や布目瓦の発見や霊松寺の仏像がそれを立証しています。

 

・平安時代 中期

富野の地は「志津野庄」「小野庄」「神野庄」などと呼ばれ貴族や寺社の荘園(私有地)になっていきました。

 

・戦国時代

志津野へ関城主永井氏が力をのばし志津野城(椎倉城)をつくり、小野には斉藤八郎左衛門が本城山に小野城をつくりました。

 

・江戸時代

きびしい身分制度や重い年貢の中で富野の人たちは大野用水(1703年)を開発したり小野川の新川堀替え工事(1732年)を行ったりして農業生産に励みました。

 

・明治時代

明治22年、神野・西神野・上大野・小野・志津野の5か村が合併して富野村となりました。

なお郡はずっと古くから武儀郡に属していました。

 

・昭和時代

昭和29年9月関市に合併しました。

以上は昭和48年発行 富野教育百年史「本城山」より引用】

 

・平成時代

 平成17年3月東海環状自動車道豊田東JCT - 美濃関JCT間の東回り区間が開通して、富野地区に隣接して富加関ICが出来ました。

 平成22年3月富野ふれあいセンターが完成しました。

 平成28年4月富野ふれあいのまちづくり委員会が関市では8番目として発足しました。